Mの旅人#6|新旧のコントラストとDMZ(非武装地帯)への旅 韓国・ソウル

カメラのキタムラレビューサイト『ShaSha』より転載
新宿 北村写真機店で「Mの旅人」の写真展を開催します
M型ライカを手に、世界を旅する紀行連載「Mの旅人」。
沢山の方々に読んで頂き「新宿 北村写真機店」地下1Fのベースメントギャラリーにて、本連載をテーマにした写真展を開催させて頂くことになりました。
石井朋彦写真展『Mの旅人』─M型ライカで距離を測る旅─
エジンバラ、パリ、ロンドン、香港、ソウル。
M型ライカと50mmレンズを手に、被写体との距離を測りながら撮影した旅の記憶。
会期は、7/3(木)〜7/31(木)の一ヶ月間。
本連載を通して訪れた国で出会った被写体との「距離感」をテーマに、旅先での空気感と距離感を体感できるような展示を目指しています。
展示作品を通して、訪れてくださったみなさんと一緒に「Mの旅」を楽しむことができれば幸いです。
写真展の詳細はこちら
人はなぜ、カメラを手に旅をするのか
人はなぜ、旅をするのでしょうか。
人類が定住化をはじめる一万年より前は「生きること=旅すること」でした。定住化し、国境が引かれ、インターネットやVRで秘境をも可視化できるようになった現代においても、私たちは旅することを夢見ます。旅をしたいという欲望は、本来あるべき姿に戻りたいという根源的な欲求なのかもしれない。そして、カメラを手に旅をするということは、その場に足を運び、シャッターを切ることによって、自分のいる場所を確かめるという行為なのかもしれません。
日本という島国で生きていると、時に自分がどの場所に立っているかがわからなくなることがあります。こんな時代だからこそ、カメラを手に旅し、自分と自分を巡る世界の来し方行く末を考えることが必要なのではないのかと改めて感じます。
今回は、韓国・ソウルを旅しながら考えた、新旧のコントラストに関して書きたいと思います。
はじめて隣国・韓国を訪れたのは、2006年。アニメーションの制作進行として、ソウル郊外のアニメスタジオを訪れた時でした。それから仕事で何度も訪れてはいたものの、ゆっくりと街を巡る機会がないまま。
今、若い世代が最も旅したい国のトップに韓国が入るそうです。映画やドラマ、音楽やダンスをはじめとしたエンターテインメント、経済もテクノロジーにおいても、韓国は世界の先頭を走っています。
今や韓国は、若い世代を中心に「憧れ」の国のひとつ。日本から飛行機で数時間という近さもあり、食事、文化芸術、美容やファッションを楽しむために、週末、日帰りや一泊二日で訪れる人たちも多いそうです。
なぜ今、韓国は元気なのでしょうか。

明洞の屋台
金浦国際空港からタクシーで一時間弱、明洞(ミョンドン)のホテルにチェックインし「ライカM10-P」と「アポ・ズミクロンM f2.0/50mm ASPH.」を首から下げて歩き始めました。
明洞は、ソウルを東西に流れる川・漢江(ハンガン)の北に広がるソウル最大の繁華街。屋台やコスメショップ、ファッション&アクセサリー店がひしめき合い、新旧のコントラストを成しています。




東京と変わらないような町並みも、ハングル語の看板がかかっているだけで、異国情緒に襲われます。
私はかなり重度な方向音痴で、自分が向いている方向が北であると思い込むという、旅人にあるまじき稟賦を持っています。旅先では「自分が今どこにいるのか」を理解するために、大通りを一度歩き、街の全体像を掴んでから路地裏に入ってゆくようにしています。
日本の都市部と変わらない高層ビルが立ち並ぶ明洞の目抜き通りから一歩足を踏み入れると、ハングル語の看板がひしめき合う、雑多とした建物に目を奪われます。そして、通りの真ん中に立ち並ぶ屋台、屋台、屋台……。
住民や観光客、湯気のたつトッポギや、色とりどりのフルーツ飴。
アジアの街と日本の街との違いは、屋台が並ぶ場所が制限されていることではないでしょうか。1964年の東京オリンピックを境に「非衛生的」という理由で屋台の一斉排除が行われ、日本の街から屋台が姿を消していったそうです。韓国の街もまた、1988年のオリンピックを境に大きく変わったそうですが、今もビルとビルの谷間に屋台が軒を連ね、人々が思い思いの時間を過ごしている姿が残っていることが、いかに大切なことか……フラッとのれんをくぐった韓定食の店で舌鼓を打ちながら、考えました。



景福宮(キョンボックン)のチマチョゴリ

空腹を満たし、明洞から北へカメラを下げて歩いていると、韓国の伝統衣装・チマチョゴリを身にまとった女性たちの姿を見かけるようになってきました。日本人もいれば、東南アジア人もいれば、欧米人もいる……。
「観光客なのか……?」
ーーと気づいたときには、朝鮮王朝時代の王宮・景福宮に迷い込んでいました。
色とりどりのチマチョゴリに身を包んだ女性たちの中に入り込んでいくうちに、次第に自分が2025年のソウルにいるのか、朝鮮王朝時代にいるのかわからなくなってゆきます。朝鮮王朝時代にタイムスリップしている女性たちの邪魔にならないよう、距離を置いてシャッターを切ります。ストリートスナップでは、被写体の顔が大写しにならないように気をつけるようにしています。近代的なソウルの都市の真ん中に広がる景福宮の風景の一部としてチマチョゴリをまとった女性たちを撮りながら、十五世紀の人々の息遣いを感じるような想いでした。


今、日本でも、80年代ファッションやレトロ喫茶等が、若い人の中でブームになっています。先日若者に「なぜ、体験したことがない昭和レトロに惹かれるのか?」と問いかけたところ、こんな返事がかえってきました。
「経験したことがない時代だけど、どこか懐かしい気がするんです」
フィルムカメラがブームになり、高解像度な写真よりも「エモい」写真が好まれるのは、必ずしも進化を続けることだけが希望ではない……という心の叫びなのかもしれません。
東大門のタッカンマリ
地下鉄に乗り、明洞から北西に位置する東大門(トンデムン)へ。
朝鮮時代の城門「興仁之門」を中心に、歴史的な建築物と、巨大なショッピングセンターが並ぶ「眠らない街」。問屋街とファッションビルがひしめき、いつ訪れても多くの人々で賑わっています。


東大門には、夕食にも再訪しました。タッカンマリという鳥鍋の店が並ぶ横丁があり、タッカンマリ発祥の地として夕方から行列ができる場所があります。
旅先で美味しい店を見つけるコツは、常にお客の出入りがあること。そして、観光客ではなく、現地の人々が訪れていること。


英語も日本語も伝わらない店で、湯気の立ち込める鍋に放り込まれる一羽の鳥を、ネギとジャガイモ、キノコと共に煮込んでひたすら胃袋に放り込む。無心になってただ食べるということに集中できるのも、旅の醍醐味です。
M型ライカは、最短距離70cmより近くには寄って撮れません(最新のレンズはライブビューやビゾフレックスで確認しながら35-45cmまで寄ることができますが)。寄れるレンズやスマートフォンを手にしていると、つい目の前の食事を撮りがちです。しかし、近接撮影に向かないM型ライカの場合は、周囲の人々や店の雰囲気、空気感の方に目がいくようになります。
鶏肉とネギを小皿に運び、タテギ(赤唐辛子)をたっぷりとつけてハフハフと口に運ぶ人々の幸せそうな横顔を、食事の邪魔にならないようにカメラに収め、火が通ったむっちりとした鶏肉にかぶりつきます。
脂の少ないしっかりと肉のついた鶏肉は、甘くとろけたネギと共に、いくらでも食べられそうです。〆の麺までしっかり頂き、怪しげな光を放つ明洞の飲食街を歩きながら「旅人」に与えられた至福を噛み締めました。


新しい街 江南(カンナム)と聖水洞(ソンスドン)
翌日足を運んだのは、タクシーで漢江を南に越えた先に広がる江南区。
高層ビルとメゾンブランドの路面店やクラブが立ち並ぶ「富裕層の住む街」です。以前に世界的に大ヒットした「カンナムスタイル」という曲を覚えている方も多いのではないでしょうか。
カメラを手にしていると、高級ブランドの路面店や、高層ビル、ブティックの隙間から垣間見える屋台や古い民家の名残に目を奪われてしまいます。ソウルの中で比較的新しく整備された街だからこそ、新旧のコントラストがはっきりと現れているように感じる街。
小洒落たカフェで一息つき、路地裏に迷い込みながら、新旧のコントラストにシャッターを切り続けました。




今回の旅で最も印象的だったのが、今ソウルで最も新しい街と言われる場所のひとつ「聖水洞」でした。かつて工場地帯だった地区の建物をリノベーションし、カフェやギャラリー、セレクトショップが点在するソンスドンは、街全体がクリエイティブスペースのようです。街をゆく若者たちは最新のファッションに身を包み、強烈なエネルギーがそこここから立ち上っていました。
この日は少し肌寒く、古着屋でデニムシャツを購入すると、レジの店員さんから「日本人?」と声をかけられました。しばらく雑談していると、びっくりするくらい日本のカルチャーや東京の名所に詳しい。「まだ東京にはいったことはないけど、いつか……」と目を輝かせる若者たちを撮り、インスタグラムのDM経由で写真を送りました。



DMZ(非武装地帯)
近年、日本よりも急速な変化の只中にあった韓国。
新旧が同居する街を彷徨い歩きながら、この国が放つ強烈なエネルギーの源泉を知りたいという欲求が膨らんでゆきました。
朝鮮半島は、1968年に北緯38度線を境に軍事境界線が引かれ現在も南北に分断されています。大ヒットドラマ「愛の不時着」や、数々の名作映画の多くが、南北に分断された韓国と北朝鮮の歴史を背景にしている。
「もっと、この国の事を知りたい」
帰国日の早朝、ソウルからたった50km北にあるDMZ(非武装地帯)へのツアーに参加し、バスに乗り込みました。
専用のツアーバスに揺られて約一時間半。
朝鮮半島を南北に分断するDMZーー非武装地帯は個人で旅行することは許されず、パスポートを所持し、ツアーで参加することしかできません。
(※今回掲載している写真はすべて、添乗員が「撮影可」と言ってくれた場所で撮影したものですが、状況は刻々と変化してゆきますので、将来「撮影禁止」になった場合は削除致します)

戦争中に引き裂かれた家族が再開を願い、祈りを捧げたという臨津閣(イムジンガク)。
鉄条網に結ばれた無数のリボンは、いつか家族に会いたいという人々の祈りが込められているそうです。

都羅展望台は撮影禁止でしたが、双眼鏡をのぞくと、遠くに北朝鮮の「宣伝村」を望むことができます。北朝鮮が世界に対し、豊かな生活を送っていることを示すために作られた村ということでしたが、その周囲と北側に広がる山々と大地に、北と南の間に横たわる様々な課題や問題が浮かんでは消えました。

印象的だったのは、分断後、北朝鮮が秘密裏に掘り進めたとされるトンネルでした。
1978年に「発見」されたという、長さ1.6km、幅は2mのトンネルには、北朝鮮の兵士が仕掛けたダイナマイトの後が生々しく残されている場所もあり、ヘルメットをかぶり、350m程奥まで歩くことが出来ます。低く狭いトンネルを黙々と歩くうちに、ツアーで訪れているという感覚が失われ、緊張感が下腹から湧き上がってくるような感覚に襲われます。このトンネルを抜けた先は、今も緊迫した状況が続く北の地……。ソウルからたった50kmの場所にあるDMZ(非武装地帯)と、その先に広がる、今も分断された土地。次第にカメラを手にする両腕が重くなってゆくのを感じます。外界から圧力にさらされ続け、変化を余儀なくされてきた半島の歴史が脳内に浮かんでは消え、そのイメージに対して、脳内で何度もシャッターを切るような想いでした。
ソウルへと戻るバスの車窓に広がる田園風景と、次第に近づいてくる高層ビル群。
「なぜ韓国は元気なのか?」
その問いの答えを、ひとつの言葉にすることはできません。
世界はあまりにも早く、時に残酷に変化してゆく。韓国という今も停戦状態にある国では、今もその変化が起こり続けている。
カメラを手に旅をするということは、その変化を一瞬繋ぎ止め、後世に残してゆくということなのだと信じて、今後も旅を続けたいという想いを新たにしました。


執筆者プロフィール

写真家・映画プロデューサー:石井朋彦
「千と千尋の神隠し」「君たちはどう生きるか」「スカイ・クロラ The Sky Crawalers」等、多数の映画・アニメーション作品に関わる。雑誌「SWITCH」「Cameraholics」等に写真やルポルタージュを寄稿し、YouTubeやイベント等でカメラや写真の魅力を発信するなど写真家としても活動。
ライカ GINZA SIX、ライカそごう横浜店にて写真展「石を積む」、ライカ松坂屋名古屋店にて写真展「ミッドナイト・イン・パリ」を開催。また、JR高輪ゲートウェイ駅前では、高さ3m、全長140mにわたる仮囲いデザイン「CONSTRUCTION ART WALL」の撮影・ディレクションを行う。
インスタグラム:@tomohiko_ishii
X:@icitomohiko
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