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特集・コラム

Mの旅人#5|「M型ライカ」で失われた記憶の風景を探す旅 香港

2025/06/06

カメラのキタムラレビューサイト『ShaSha』より転載

誰しも、記憶の中に忘れられない風景がある

誰もが、記憶の中に忘れられない風景を持っています。

子供時代の記憶、学生時代の思い出、卒業旅行や一人で旅した異国の思い出……。時間を経るにつれ記憶は変質してゆきますが、ふとしたきっかけや、再び同じ場所を訪れた瞬間に、どこかで見た風景が蘇ることもある。

写真家・森山大道さんは「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」と仰っています。時間は進み、未来は過去となり続ける。写真もまた、撮影された瞬間に、過去になってゆく。私たちの人生と写真とが違うことは、写真は撮影された瞬間が固定され、残り続けるということではないでしょうか。

記憶も、人生も、眼の前の光景も、常に変わり続ける。写真だけはその瞬間を記録し、記憶し続けてくれるタイムマシンのようなものなのかもしれません。

Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の高層建物を撮影した写真

過日、香港を訪れました。

私にとっての香港は、香港映画です。ウォン・カーウァイの「恋する惑星」「ブエノスアイレス」や「花様年華」。ブルース・リー、ジャッキー・チェンのアクション映画や、ジョン・ウーの「男たちの挽歌」。ハリウッドでリメイクされた「インファナル・アフェア」(監督:アンドリュー・ラウ/アラン・マック)は何度見返したかわかりません。私が思春期を過ごした90年代から2000年にかけては、映画といえばハリウッド映画と香港映画でした。

先日公開された「トワイライト・ウォーリアーズ 決戦! 九龍城砦」という映画をご存知でしょうか。久しぶりの本格的な香港映画として、香港映画史上第一位の動員を記録した作品ですが、日本でも口コミが広がり、大ヒットしています。

映画「トワイライト・ウォリアーズ」のメイン画像

舞台は、20世紀末の香港。魔窟と呼ばれた九龍城塞を舞台に、失われてゆく世界で、大切なものとは何かを見つめる作品です。イケメン俳優があらゆるアクションを駆使して戦う「THE・香港アクション映画」ですが、何故この映画が香港映画史を塗り替えたのかに興味があり、日本公開の初日に観にいきました(本編の感想は結びに記しますので、未見の方はご注意下さい)。

九龍城は1994年に取り壊され、跡地は公園になっていることは知っていたものの、改めて訪れたい……映画を見終え、強く思いました。

Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の道路で通行人を撮影した写真

香港には何度か足を運んでいますが、今回の旅は十数年ぶり。

アジア最大のアート・マーケット「アート・バーゼル」を訪れることが目的でしたが、会場を巡った後は荷物をホテルに置き、「ライカM10-P」と「アポ・ズミクロンM f2.0/50mm ASPH.」を手に、魔都へと繰り出しました。

天を突く建て増し建築の間の架け橋のようにひしめいていた看板やネオンはすっかり姿を消し、どこかで見たような風景が続く街が続いていました。かつて100万ドルの夜景とうたわれた香港島のビル群が放つ光芒もどこかさみしく、スターフェリーに揺られながら、別な国に来てしまったのではないか……と感じたほどでした。

Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港で建物を建設しているクレーンを撮影した写真
Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の道路に掲げられている看板を撮影した写真

1997年にイギリスから中国に返還されてから、東洋の真珠とうたわれた香港の街は、歴史の渦に飲み込まれ、変化を続けてきました。政治的なことに触れることは控えますが、香港の象徴であったネオンや看板は建築法によって撤去が進められ、最盛期のネオンサインの9割がなくなってしまったのだそうです。

自らが暮らしたわけではない異国にノスタルジーや郷愁を抱くのは旅人の身勝手です。そもそも、想い出の中の風景は存在していたのか--美化された記憶を、懐かしいと考えていることも往々にしてあります。

それでも……目を閉じると、記憶の中に在りし日の香港が蘇ります。

屋台や食堂から漂ってくる、花椒(ホアジャオ)や八角(パージャオ)の香り。むせるようなドリアンの濃厚な香り……。

ふと、思いました。カメラを手にしている今こそ、記憶の中の風景を撮ることができるのではないか--と。

九龍の街で

九龍城の跡地は、今は公園になっています。

Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用し、香港で白いドレスを着た女性を撮影した写真

以前訪れた時は、公園の周りに屋台が並んでいた記憶があるのですが、平日の九龍寨城公園は人もまばらで、太極拳の練習をする老女や、どこへゆくともなく佇む人の姿もすっかり少なくなっていました。

Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の出店を撮影した写真
Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港のお店で腕伏せをしている男性を撮影した写真

公園を出て九龍の街を歩くと、記憶の中にかすかに残る香港の街並みが見えてきました。
カメラを横に構えると新しい建物が写ってしまう。もちろん、それも「香港の今」ではあるのですが、今回の旅では、これからさらに失われてゆくであろう香港の風景を、自らの記憶の中の風景として撮りたいと思いました。

28mmの焦点距離レンズを搭載した「ライカQ3」も持参していたのですが、広角レンズでは、建設中の街や、近代的なビルが写り込んでしまいます。

自分が見た世界を、大胆に切り取ることができるのが、焦点距離50mmのレンズです。50mmは、片目を閉じた視界と言われることもありますが、縦に構えることで、地震の少ない香港ならではの高層建築をフレームに収めつつ、大胆に風景を切り取ることができます。

建物がひしめき、視界のすべてを看板やネオンが埋め尽くす、記憶の中の香港を、あえて50mmレンズで撮ることに、気がつくと夢中になってゆきました。

Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の建物に下がっている看板を撮影した写真
Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の道路に止まっている赤い車を撮影した写真
Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の建物の隙間を歩いている人を撮影した写真

現在が、現在であり続けることはありません。未来は現在になった瞬間に過去になり、膨大な過去の蓄積が、人生という短い旅を歩む私たちの背後に積み重なってゆく。スーザン・ソンタグやロラン・バルトは、写真の過去性について言及しています。撮影された写真はその瞬間を固定しながら、過去になってゆく。デジタル写真は、データという数字に置き換えられ、半永久的に残り続ける(デバイスが破壊されたら一瞬で消えてしまいますが)。

しかし記憶は、記憶した瞬間、過去となりながらも変質を続けます。

美しい思い出はより美しい思い出に。辛い思い出は時に何年も何十年も、記憶者の心を傷つけることもある。人間の脳という記録装置は、網膜を通して入力された情報を蓄積しつつ、変容させる力を持っているようです。記憶の中の風景を探す旅は、ある種自分の脳内に撮影された記憶が変容した様を、再びセンサーを通して記録・再現する旅なのかもしれません。

Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港にてたくさん貼り紙が貼られているお店を撮影した写真
Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の看板を撮影した写真
Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港のビル街を撮影した写真

早朝の鳥市場

翌日は、「雀鳥花園(バードガーデン)」へと足を運びました。

香港映画を見ていると、籠の中で鳥を飼っている様子がよく描かれています。

ジェット・リー主演の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」(監督:ツイ・ハーク)という映画の冒頭でも、籠の中の鳥が印象的に描かれていました。古来より、籠の中の鳥の鳴き声を聞くのが文人のたしなみだったとか。

籠の中にひしめくインコや九官鳥、生きたまま売られている餌となるコオロギや蛙。その背後で、まるで彼らもまた記憶の中のオブジェのように佇む店主たち。

Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港のお店の中で食事をとる男性を撮影した写真
Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の鶏販売店でカゴに入った鶏を撮影した写真
Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の鶏販売店でこちらを見る男性を撮影した写真

鳥市場のとなりにあるフラワーマーケットを抜け、太子駅近くに出ると、次第に記憶の中の香港が蘇ってきました。

看板の数こそ減ってはいましたが、建物には洗濯物がかけられ、市場にはApple製品の贋作や、日本のアニメ・漫画のキャラクターの偽物商品が並んでいます。魚介類の生々しい香りを包み込むように漂ってくる果物の濃厚な香りと、行き交う自動車とバイク。
そして、人、人、人……。

「あぁ、これこそ香港だ」

「アポ・ズミクロンM f2.0/50mm ASPH.」を装着した「ライカM10-P」を手に、額から流れる汗を拭いながらシャッターを切り続けました。

直線的な建物の輪郭をくっきりと描き出す「アポ・ズミクロンM f2.0/50mm ASPH.」と、最新のM型ライカである「ライカM11」と比較して、ニュートラルでノスタルジックな色味を映し出す「ライカM10-P」のセンサーは、今回のように、記憶の中の風景を描き出すのにピッタリでした。

Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の看板を撮影した写真
Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の青果店で寝ている男性を撮影した写真
Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の焼鶏店を撮影した写真
Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港で干されている洗濯物があるビルを撮影した写真
Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の道路タバコを吸う人物を白黒で撮影した写真

トワイライト・ウォーリアーズ大ヒットの背景

映画「トワイライト・ウォーリアーズ 決戦! 九龍城砦」をご覧になっていない方は、最後に、映画のラストシーンのセリフを記すことをお許し下さい。

九龍城をめぐる壮絶な戦いが終わった後、主人公と仲間たちはこれから取り壊される事になる 九龍城砦の欄干に腰かけ、頭上スレスレを飛ぶ旅客機(かつて香港空港は、世界で最も着陸が難しい空港と言われていました)を見送ります。

変わってしまう九龍、そしてその後、イギリスから中国に返還され、急激に変化する香港の未来を予感するように「全ては変わってゆく」ということを口にします。

その言葉を聞いた主人公は微笑みながら、こう答えます。

「変わらないものもある」

--と。

同作が単なるアクション映画としてではなく、香港史上最も観客動員を記録した作品である理由は、ラストシーンのこの台詞に隠されているのではないか……。

何があっても変わらないもの。それは、私たちひとりひとりの中に記録された「思い出」であり「想い」でもある。

カメラを手に旅をするということは、自らが生きた証を残し、未来から現在、過去へと流れてゆく時間と記憶を留めようとするささやかな抵抗--戦いなのかもしれません。

Leica M10-Pとアポ・ズミクロン M f2/50mm ASPH.を使用して香港の道路で手をつなぐ男女を撮影した写真

執筆者プロフィール

石井朋彦プロフィール画像

写真家・映画プロデューサー:石井朋彦

「千と千尋の神隠し」「君たちはどう生きるか」「スカイ・クロラ The Sky Crawalers」等、多数の映画・アニメーション作品に関わる。雑誌「SWITCH」「Cameraholics」等に写真やルポルタージュを寄稿し、YouTubeやイベント等でカメラや写真の魅力を発信するなど写真家としても活動。
ライカ GINZA SIX、ライカそごう横浜店にて写真展「石を積む」、ライカ松坂屋名古屋店にて写真展「ミッドナイト・イン・パリ」を開催。また、JR高輪ゲートウェイ駅前では、高さ3m、全長140mにわたる仮囲いデザイン「CONSTRUCTION ART WALL」の撮影・ディレクションを行う。

インスタグラム:@tomohiko_ishii
X:@icitomohiko
note:icitomohiko

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