『ライカで見つける10人の肖像展』インタビュー【第3回】ハービー・山口「幼い頃からの病気で希望がない時代があったからこそ、希望を撮りたい」
はじめに
2024年6月21日(金)から新宿 北村写真機店地下1階「ベースメントギャラリー」で始まった『ライカで見つける10人の肖像展』。同店6階ライカブティックのオープンを記念して開催されているこの企画展は、日本を代表するライカ使いの中でもポートレートに定評のある10人がオリジナリティを競い合っています。(2024年7月31日で終了)
そこで、ベースメントギャラリーを舞台に競演する写真家たちの「フォトライフ」を紐解く連載記事がスタートしました。3回目はハービー・山口さんが登場。撮影に使用したカメラ・レンズをはじめ、出展いただいた作品の誕生秘話などについてお聞きしました。
今もポジティブな気持ちを与える「東京タワー」
——展示作品について聞かせてください。いつどのように撮られた作品でしょうか。
2019年のWBC初日の2月19日、東京タワーがスペシャルカラーだった日です。そのときはテレビ番組の収録でカメラが1台ついていて、東京タワーをテーマに写真を撮る企画でした。タワーは数秒ごとに色が変わったりして、みんなが写真を撮っていました。その近くの公園でベンチに座っていた女の子に声を掛けたんです。アメリカから来ていた交換留学生でした。
東京タワーにはストーリーがあって。僕は高校生時代に写真部の部長をやっていたんです。男子校で、東京タワーのすぐ下にある学校でした。2年生の時にクラブ活動を一生懸命やり過ぎて、ある学期の成績が50人中50番になってしまって。親にどう申し開きをしようか、写真部を辞めようかなと思って屋上に上ったら、東京タワーが天空に突き刺さるように勇ましく建っているのが見えたんです。
そこで「勉強はいつでもできるから、写真部を辞めるのはやめよう」と、東京タワーに勇気づけられたんです。16歳ぐらいのときです。その思い出があったので、2019年の今もみんながスマホで東京タワーの写真を撮っている様子を見て、東京タワーは今でも人々にポジティブな気持ちを与える存在なんだなと思いました。
——使ったライカとレンズを教えてください。
ライカM10-P “Black & Grey” Edition(ライカ大丸心斎橋店オープン記念の国内限定モデル。生産40台)と、ノクティルックスM f1/50mm(通称E58)、いずれも新宿 北村写真機店で買ったものです(笑)。
ノクティルックスは、このボケ味に衝撃を受けたんです。大きくボケるからこそピントの合ったところが浮き立って、それに惚れて「いい」って言ったら、途端に中古相場が高くなっちゃって(笑)。それでもう1本、フードが組み込み式のタイプ(通称E60)も買ったけど、これもそんなに見劣りしないと思いますね。
ブレッソンの写真集で見つけた、“Leica with 50mm”
——ハービーさんのライカには“50mm”というイメージを持っていますが、50mmが一番お好きですか?
アンリ・カルティエ・ブレッソンの写真集で、奥付に“Leica with 50mm”と書かれているのを見て、50mmで撮ったんだ!と知ったときに、「50mm、最高!」と思ったのが最初です(笑)。ブレッソンもスナップなどでは35mmとかも使っているかもしれませんが、そのポートレートの写真集は全部50mmって書いてありました。それから、人を撮るときは50mmが基準になっていますね。
撮影に出かけるときは35mmや90mm、ライカQシリーズについている28mmも一緒に持っていきますが、だいたい50mmで済んでしまいます。以前はズミクロン50mmをF2.8やF4という、ピントや性能の安全圏で使っていたけれど、“ノクチ”はF1.0で使った時に、手前も奥もボケる、人を撮ればまつげにピントが来る。これが魅力ですね。少しでも失敗したらピントを外してしまいますが、ノクチになってからこそ、絞り開放で撮るようになりました。
モノクロが当たり前だったのに、カラー写真を始めた理由
——ハービーさんといえば、モノクロ写真です。いつからカラーで撮るようになったのでしょうか?
まずフィルムかデジタルかを考えますが、近年は9割がデジタルです。フィルムが高いこともあるし、撮ったその場で相手に写真を見せると「あら素敵、もっと撮っていいわよ」と納得してもらえて、ずいぶん助けられました。その経験があるのでデジタルを使う機会が増えています。
それまではフィルム時代からずっとモノクロが当たり前だったんですが、ライカM10-Pを買ってからはカラーで撮ることが増えました。ちょうどその頃に、東京の企業や学校も少し規則が緩くなって、若い人が髪を染めるのも一般になってきました。テレビのインタビューを見たら、「髪を染めたことで、自分らしく生きられて幸せです」と答えている人がいて、「カラーの人の心に対する影響は大きいんだな。じゃあ、カラー写真も撮ってみよう」と思ったのが2019年ぐらいからです。それが「Tokyo Color_x」という写真集になりました。その頃は原宿の行きつけの美容室でも「お客さんで髪を染める人がいたら呼んで」とお願いして、ずいぶん撮らせてもらいました。
写真をやっていてよかった。人の命を救えた
——ハービーさんが写真を撮り続ける原動力は何でしょう?
自分で写真展をやって、見に来てくれた人の感想文が書かれていると、「自分の写真からも力を受け取ってくれてる人がいるな」と思って、やりがいを感じます。
先日も北海道の東川町で写真展をやって、感想文ノートを置いてもらったんです。それを見ると「私は希望もなく、ただ生きている人間です。もう生きたくありません。でも、ハービーさんの写真を見るといつも涙が出ます。どこかで生きたいと思っているのでしょうか。ありがとうございます」と書かれていました。こうして他人に生きる希望を与え得たという事実に、写真をやっていてよかった、人の命さえ救ったんだな、という気持ちになります。過去の写真展で頂いたメッセージも、今でも思い出すものがあります。
僕自身、幼い頃からの病気で希望がない時代があったからこそ、希望を撮りたいと思っています。大学生になるかならないかの頃、健康診断でお医者様に「君の病気もだいぶ良くなった」と言われて、初めて生きる希望を感じたことから、それを写真のテーマにしようと思って今に至ります。
ライカは「生きよう」とプッシュしてくれる存在
——ライカに興味がある人に一言メッセージをお願いします。
写真を撮るにはカメラという道具が必要ですが、同じ道具なら心底好きな道具を手に入れた方が、その人の写真活動も円滑かつ情熱を持ってこなせると思います。形も、写りも、音も、重さも、感触も。自分の好きなカメラを使うのが一番です。
キザな例えなのですが、「高校時代に隣に好きな女の子が座っていて、嫌われるかもしれないけど恐る恐る手を重ねてみたら、握り返してくれた。ああ、なんて幸せなんだろう、なんて力強く明日を迎えられるんだろうと思った青春の感触」。それがカメラにあったらいいなと思っていて、それが僕にとってはライカなんです。自分の心を、果てしなく「生きよう」とプッシュしてくれる感触との出会い。それがライカでした。
これが全ての人に当てはまるかはわかりませんが、ぜひ手に取って、感触とかを確かめてもらって、それが自分にとって生きる力の手助けになるなら、買って使ってみるといいと思います。
こちらの新宿 北村写真機店がオープンしたとき、ライカコーナーの担当者に伝えたのは「若い人が訪れて、今すぐには買わないなと思っても、決して“ないがしろ”にしないお店であってください」ということです。ライカは高嶺の花ですから、それだけに最初の“出会い”が極めて大事だと思います。今のところ、Xでもそういった良くない評判は目にしないので、僕の願いを守ってくださっているんだと思います。
プロフィール
■写真家:ハービー・山口
1950年東京都出身、23歳でロンドンに渡り10年を過ごす。一時期現地の劇団に所属し100回の舞台出演をこなす。折からのパンクロックの洗礼を受け、ザ・クラッシュのジョー・ストラマーに「撮りたいものは全て撮るんだ、それがパンクだろう」と言われ座右の名としている。帰国後も幅広く人々にカメラを向け、幼少期に患った疾病を克服したことで、表現物のテーマを「生きる希望」と定めた。写真の他、エッセイ執筆、ラジオのパーソナリティー、さらにはギタリスト布袋寅泰には数曲の歌詞を提供している。著書多数、2011年度日本写真協会賞作家賞受賞。2024年日本写真専門学校校長に就任。作家名の「ハービー」は敬愛するジャズフルーティスト、ハービー・マンより
■執筆者:鈴木誠
ライター。カメラ専門ニュースサイトの編集記者として14年間勤務し独立。会社員時代より老舗カメラ雑誌やライフスタイル誌に寄稿する。趣味はドラム/ギターの演奏とドライブ。日本カメラ財団「日本の歴史的カメラ」審査委員。YouTubeチャンネル「鈴木誠のカメラ自由研究」