新宿 北村写真機店のカウンターで、お薦めライカを味わい尽くす|Vol.041ライカM6 classic
カメラのキタムラレビューサイト『ShaSha』より転載
はじめに
皆さんこんにちは。ライターのガンダーラ井上です。新宿 北村写真機店の6階にあるヴィンテージサロンのカウンターで、ライカをよく知るコンシェルジュお薦めの一品を見て、触らせていただけるという企画、『新宿 北村写真機店のカウンターで、お薦めライカを味わい尽くす』。本企画ではコンシェルジュの方にお薦めライカを用意してもらい、その機種の魅力を伝えていただいております。
コンシェルジュのお薦めは?
今回お薦めライカを見立てていただいたのは、新宿 北村写真機店コンシェルジュの中明昌弘さん。プロのフォトグラファーだった経歴を持ち、写真を撮るという実用の視点と趣味性の高さが両立したセレクトが持ち味の中明昌弘さん。さて、今日のアイテムは何でしょう?
復刻生産される元ネタになったモデル
「今日のカメラは、ライカM6クラシックです」と差し出されたクローム仕上げのライカ。
昔からライカM6に馴染みのある人にはクラシックという特別モデルのことかな? と推測されるかもしれませんが、今までの流れから実用派の中明さんが特別モデルをお薦めしてくるとは思えません。クラシックというのは俗称だそうで、復刻版のライカM6が2022年に登場したことで1980年代に発売開始された通常モデルのことをM6クラシックと呼ぶようになったそうです。
ウェッツラー刻印のある初期型
「M6クラシックは、M型の伝統的なボディサイズに露出計を内蔵したモデルとして1984年に発売開始されたカメラです。シリアル165万代から170万代前半が前期型で、トップカバーにERNST LEITZ WETZLAR GMBH. やLEITZ WETZLAR GMBH.などの刻印が入っています。ライツ時代最後のM型で、外装は真鍮製のカバーと言われています。ただし前期型の後半では亜鉛ダイキャストが採用されているものがあるようです。初期ロットの製造時期はライカM4-Pとの併売期間があったので、巻き戻しクランクなどにM4-Pのパーツも使われていたようです」とのこと。
TTL露出計を内蔵したボディ
こちらがライカM6クラシックの背面ですが、ディスクでフィルム感度を設定する仕様になっています。裏蓋のディスクから設定した感度の数値が電気的に送られるようになっているんですね。フィルム感度の設定ディスクを見ると、ISO表示の上半分にDIN(ドイツの対数級数による規格)、下半分にASA(アメリカの算術級数による規格)の数値が記されています。フィルム感度の国際規格であるISOが誕生したのは1974年で、DINおよびASAをそのままISOにスライドさせることになりました。現在では旧ASAのみでフィルム感度を表記するのが一般的ですが、1980年代には旧DINも併記されているのが普通でした。ちなみに2022年発売の復刻版M6でも旧DIN表記は健在です。
受光素子には高感度なSPDを使用
ライカM6クラシックの最大の特長は、伝統的なM型ライカのサイズのままでTTL露出計が内蔵されたこと。
「M5では露出計を内蔵させたことでボディが大柄になってしまい不評でしたが、その失敗を活かして作ったのがM6です。M5では受光素子にCds(硫化カドミウム)を使ったアナログ指針を用いたメーターを採用していましたが、M6ではSPD(シリコンフォトダイオード)を受光素子にした2点式のLEDメーターを搭載しています。これらの新しい技術を入れ込むことで、このサイズに収めることができました。シャッター幕からの反射光を受ける方式はMデジタルにも採用されているので、ある意味でこれが元祖です」
ということで、シャッターをバルブにして裏蓋を開けるとSPD受光素子を拝むことができます。
赤バッジの表記はLeitzからLeicaに
「M6クラシックの後期型の外観はトップカバーの刻印がなくなっている部分と、赤いバッジがLeitzからLeicaに変更されていることが特徴です。バッジがLeicaになったのはライカを作っている会社の名前がERNST LEITZ有限会社からLeica有限会社になったから。1988年に本社がウェッツラーからゾルムスに移転した時期に社名が変わり、その頃に後期型に切り替わり、1998年にライカM6TTLが出るまでの10年間製造されました。カバーの材質は真鍮から亜鉛ダイキャストに変更されたので、すこしだけ軽くなっています」
ということで、写真の手前がLeitzバッジの前期型、後ろがLeicaバッジの後期型になります。
ウェッツラー刻印の方がやっぱり偉い?
現在のライカカメラ社はウェッツラーにその本拠地を戻したこともあり、ライカM6クラシックのなかでもウェッツラー刻印を珍重する傾向があるような気もしますが実際にどうなのでしょう?
「トップカバーが真鍮製のウェッツラー刻印モデルは持ち比べると重たく、M6クラシックの中でも特にクラシックな感じになっているかと思います。TTLを除くM6の総生産数は約15万台。前期は3万台前後に対して後期は約12万台なので4倍の量があります。ウェッツラー刻印モデルの参考売価は5%くらい高い設定のものが多いです」とのこと。どおりでトップカバーにウェッツラーと刻印のあるM6を見かける確率が低いわけですね。真鍮カバーのモデルに関しては、個人的な印象としては塗装面が泡立つように劣化している状態のものが多く見受けられるようにも感じます。
前期と後期で変更が見られる遮光版の形
さらにライカM6クラシックの前期と後期で何か違いはないか観察してみると、レンズマウントの内フトコロに設けられたハレーション切りのためのプレートのデザインに変更がありました。初期は丸抜きですが、後期では四隅が小さな円形に切ってあります。ちなみに復刻版のプレートは後期タイプ。この改良が行われたのは、おそらく特定のレンズを用いたときに画面の四隅にケラレが起きたからではないかと推測されます。この仮説が正しく、どのレンズで起きた現象だったのかを探究するには前期型を買うしかないのです。
限られた期間製造されたM6刻印が大きいモデル
今日は1988年生まれの中明さんが個人的に所有している同い年のM6クラシックを持参していただきました。M6の文字サイズが通常のモデルより大きいですね。あとLeicaのバッジが黒いです。
「バッジが黒いのは張り替えてカスタマイズしているからです。正面にM6とだけ刻印されているのは1988年に製造されたものだけだそうです。社名が変わるとき正面にLEICAと彫刻されているのに赤いバッジもLeicaとあるのはダブっていてデザイン的におかしいというのが変更の理由らしいです」
確かに、カメラの正面にライカライカと2つも並んでいる必要はないです。それでもこのビッグM6のあとすぐにLEICA M6の彫刻に戻り、赤バッジにもLeicaと記された2重ライカ表記のスタイルになってしまったそうです。
まとめ
というわけで、今回はライカM6クラシックのご紹介でした。通常モデルのM6クラシックは、上の写真の3機種。下段がブラックとシルバーで、上段にあるのは通称パンダモデル。
「製造する過程で偶然に生まれたといわれるパンダモデルはシルバーのトップカバーですが、操作部品には黒いパーツが使われているのが面白いです。パンダとは別に限定品を数多く出したのもM6クラシックからで、高級路線のブランドが確立しつつあったのがM6の時代なのかなと思います。それも含めてライカの転換期を支えた機種であり、ライカとしても思い出深いので復刻版も出てきたと考えられます。メーターも入って実用的なので使い倒していただくのもよし、限定品をコレクションしていただくのもよしで、M6クラシックには本当に幅があります」とのこと。
中明さんの趣味ではないと思いますが、M6クラシックといえばオーストリアの大作曲家アントン・ブルックナーの没後100年を記念して全作品を収録したCD付きで1996年に200台製造されたプラチナメッキの限定モデルというM6も存在します。
ご紹介のカメラ
ライカM6
案内人
ヴィンテージサロン コンシェルジュ:中明昌弘
1988年生まれ。愛用のライカはQ3
執筆者プロフィール
ガンダーラ井上
ライター。1964年 東京・日本橋生まれ。早稲田大学社会科学部卒業後、松下電器(現パナソニック)宣伝事業部に13年間勤める。2002年に独立し、「monoマガジン」「BRUTUS」「Pen」「ENGINE」などの雑誌やwebの世界を泳ぎ回る。初めてのライカは幼馴染の父上が所蔵する膨大なコレクションから譲り受けたライカM4とズマロン35mmF2.8。著作「人生に必要な30の腕時計」(岩波書店)、「ツァイス&フォクトレンダーの作り方」(玄光社)など。編集企画と主筆を務めた「Leica M11 Book」(玄光社)も発売中。